メッセージ
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もう会社なんてしないなんて
言わないよ絶対
もう会社なんてしないなんて
言わないよ絶対
代表取締役 山根 透
PROFILE
1979年 鳥取県生まれ
OFFICE IMAGINATIVE 代表
大阪芸術大学を卒業後、広告代理店勤務を経て住宅販売会社、WEBマーケティング会社、貿易会社の3社の経営に参画。さまざまな事業の立ち上げや運営に携わる。専門のマーケティング分野を軸に企業のNO.2として、財務戦略、マネジメント、IT化などほぼ全ての業務を掌握。経営コンサルタントとして独立後は自らの実業経験を生かし、経営参謀として多種多様な業種業界に顧問先を持つ。
33歳の夏、世間の夏休みが終わるのと同じ時期に僕は全てを失った、、、と絶望の中にいた。
人生最悪の日というのが実は人生最高の日になるのだという話をこの歳になって、偉そうに話すことがあるが、12年前の僕にはそのポジティブな自己啓発的な言葉は全く刺さらず、逆に嫌悪感を示していたに違いない。
元々圧倒的に自分の人生に根拠のない自信を持ち「違うものは違う」「許せないものは許せいない」と世間や大人に迎合する事を極端に拒んで生きてきた僕に、当然サラリーマンは向いているはずもなく、20台の前半から経営者として商売道を邁進してきた。
同級生と田舎で経営していた会社ではNO.2として自らも3億円の連帯債務者になり、このビジネスの可能性と集まった仲間を信じて上場を目指して突っ走っていた。
そんな33歳の夏、僕はその会社を離れる事を決める。
あの日、普段絶対見ることのない平日の夕飯の光景を片目に、ソファで悔し涙を流してワンワン子供のように泣きじゃくっている僕を、ポカンとした戸惑った顔で見ている息子たちの光景は今でも脳裏に焼きついている。
「もう会社なんてしない」
今ほどの経験も知恵もお金も人脈もない中で、でも何者かになりたくてリスクも見えない中で突っ走った20台前半から30代前半の10年に勝る挑戦はこれからの人生ではないだろう。
経営コンサルタントとして独立をし「周りの経営者や企業」のことは全力でサポートしたとしても、自らの強い意志で会社を起こしてチームを作って世の中に貢献していくという選択肢を僕の中では捨てたのだ。
組織を持たない「個人」は楽しかった。
田舎者で叩き上げの僕の経験や考え方が相手のためになり企業が成長していく。
組織を持たないので誰に気を使うわけでもなく、自分の生き方を優先できる。
職人さんが握る予約困難なカウンターのお鮨屋さんで気取ってお鮨を食べる。
独立して5年も経てば、大好きなクライアント、やりがいのある仕事、なんとなくついてきている報酬、すごいですねという賛美。僕はこの花の都大東京で一般的な人より、少しだけ色んなものを持っていて、ちょっと頑張ってる個人で仕事やってるおじさんで、全然幸せなんだけど、なんとなく満たされない。そんなおじさんだった。
「自らの使命が見えたら会社にしたいんですけどね」
法人化しないのかと言われたら毎回この言葉でかわしていた。
自らの「使命」「命の使い方」それをずっと探して迷っていた。
今までしてこなかった事をやり始めてみたり、今まで交流してこなかった多様な価値観の人ともどっぷり交流した。
山岳修行やお遍路に出向き自分を内省化し、その回答を求めたりもした。
回り回って、
その中でようやく見えてきた「光」
僕は人が好きだ。
僕はまぎれもなくおせっかいだ。
そして僕は目の前の人の可能性を見つけて、その人以上に興奮し、その人以上にその可能性を信じることができる。
目の前の人の「その先の可能性をひらく」
そしてその先に奪い合う世界ではなく与え合う世界を作る。
僕の使命はこの綺麗事を声高らかに叫び続け、賛同してくれる仲間と場を作り続けることなのかもしれない。
「だったら会社を作ろう」
そんな気持ちが心底腑に落ちた時、12年間心を覆っていたいたヘンテコなプライドは溶け、わたしはじまる株式会社がスタートしていました。
本当の「私」が見つかった時に、世の中に渡し始まる自分も始まると信じています。
わたしはじまる株式会社 代表取締役
わたしはじまる株式会社 代表取締役
違和感から目を背けず、
いつでも誰かを掬い上げることが
できる大人でいたい。
そう思うのは自然なことでした
違和感から目を背けず、
いつでも誰かを掬い上げることが
できる大人でいたい。
そう思うのは自然なことでした。
取締役 青野 まさみ
PROFILE
1983年 福島県生まれ
株式会社風ひらく 代表取締役
明治大学卒業後、サイバーエージェント・博報堂グループでのプランナー職をへて、2020年にコンサルタントに転身。中小企業向けにマーケティング支援や研修の提供、個人事業主向けにビジネス講座開講やコミュニティ運営などを行っている。神奈川県逗子市在住。
フォークの神様とも称されるボブ・ディランが1963年に作った「風に吹かれて」(英: Blowin’ in the Wind)という曲があります。
この曲は、当時のアメリカ社会における人種差別や戦争などの問題に対して、抗議や疑問を投げかける内容であり、公民権運動や反戦運動の賛歌として広く歌われたのだそうです。
“どれだけ道を歩めば
一人前だと認められるのか?
どれだけ海を越えれば
白鳩は砂浜で休むことができるのか?
どれだけの砲弾が飛び交ったなら
武器は永遠に禁止されるのか?
答えは、友よ、風の中だ
答えは風の中を舞っている”
(引用:Lyriclist)
この曲が発表された当時、ボブ・ディランはこう言いました。
「世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。
俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。
あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」
私、青野は34歳まで東京の一等地に住み、港区にある大手企業で会社員をしていました。
調和を重んじる世界の中、周りを常に見渡して、協調性とコミュニケーション力を携えて、自分のもてる力を精一杯出力していく生き方をしてきました。
高い専門性、場で求められる立ち回り、対人折衝力など強さを重視した切れ味の鋭いナイフ。
それを武器として持ってもなお、足りないからと研いで研いでの自己研鑽を繰り返す。
社会という名の選んだ環境、コミュニティの一員である自分。
目には見えない大きな輪から、なんとか外れないように…
毎日そんなことを無意識に繊細に気にしていた日々だったと思います。
そうこうして生きている自分の内側には、実はいろんなことが起きていて、わずかに望んでいたことや、本当はこうだったら…わいてくる感情や葛藤に目を背け、掻き消して、なかったことにしたり、折り合いをつけたり、気づかないふりをする。
そんな瞬間がたくさんあった、と思い返し自覚したのは、だいぶ後の話です。
2024年。独立して6年ほどが経ち、個人事業主として生き、小さな会社を営むようにもなった私が、今もっとも向き合いたいのが、努力も研鑽も積んで成功体験をもつ人たちがずっと抱え続けた”違和感” を掬い上げていくことです。
まったく違う環境で生まれ育ち、まったく違う領域の仕事をして、まったく違う世界線で、まったく違う生き方をしてきた代表の山根と私ですが、内側にわずかな”違和感”をもちつつ生きてきたという原体験には、共通項があります。
今、「わたしはじまる」をはじめること
ここには過去の自分たちのような、晴れないモヤを抱える人たちに対し、心が晴れ晴れとする、目の前の視界がパッとひらかれるような感覚を得る機会、または、そのきっかけを渡せたら、という思いがあります。
そして、この思いを体現するために立ち上がろう。そうだ、会社をつくろう。
という話になっていったのは、ごくごく自然なことだと思っています。
私たちがこの世界に与えられるもの、渡せるものがある限り
”奪い合う世界から、与え合う世界へ”
を実現するため、ひたすら走り続けよう。
そう思っています。
わたしはじまる株式会社 取締役
わたしはじまる株式会社 取締役
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